Phone number

大学に入って初めてのバイト先に、素敵な女の子がいた。あたしはその子が好きだった。
目の周りは真っ黒いアイライン。髪はエクステで背中半分が隠れるくらいあった(彼女はそれを「ヅラ」と呼んでいた)。そして健康的な太り方をしていた。
あたしは彼女より年上の、後輩だった。彼女は当然タメグチで、あたしは何故か敬語だった。
彼女はあたしに指示を出し、あたしは時々しくじった。
「結構どんくさいよね」
なんて言われたこともあった。それでもあたしは彼女を尊敬していたし、彼女は間違ったことは言っていなかった。
「スプーンの置き方とかさ、自分が置かれて使いやすいようにって考えればいいだけじゃん」
あたしは接客の基本を彼女に教えてもらった。当たり前のことも、最初は誰かに教わって、当たり前になるのだ。
彼女はあたしが仕事に慣れてくると、あたしによく話しかけるようになった。それは他愛もない愚痴だったり、通っている高校を辞めようと思っているという話だったりした。


彼女と休憩時間が重なったある日、彼女は急に
「あたしあんまりケータイの番号とか人に教えたくないんだよね」
と言った。
「むやみに教えたり、聞いたりしても、そんなに連絡取ることなかったりするじゃん?そんなの、バカみたい」
あたしは彼女が何故突然そんなことを言い出したのか分からず面食らった。そして、それはつまりあたしに「番号を聞くな」と言っているのかと思ってさらに面食らった。彼女のことは好きだったが、特に番号を交換したいと思ったことはなかった。あたしは聞かれるまで教えないたちなのだ。でもそう言われると気になってくる。あたしはずっと、彼女の電話番号を知りたかったのかもしれない。
「あたしは本当に仲良くしたい人にしか教えない」
彼女はそう言って、自分の携帯電話をいじっていた。


今なら分かる。彼女はあたしに番号を聞いて欲しかったのだ。でもあたしは拒絶されるのが怖くて聞けなかった。
結局、あたしも彼女もさみしがりやだった。人が自分から離れて行くのはさみしい。仲の良かった友人から、だんだんと連絡が来なくなるのはさみしい。だったら最初から仲良くなんてしたくない。拒絶されるなら近づかない。


彼女の両親は離婚していて、彼女は父親と兄の世話をしながら働いていた。そりの合わない高校は結局二年も行かずにやめてしまった。
それから二ヵ月後に彼女はそこのバイトを辞めた。少ない賃金で、彼女の労働時間はバイトの誰よりも長かったのだ。
あたしもその後半年程して辞めた。大学のキャンパスが移転し、以前のようにそのバイト先に通うのは難しくなったからだ。


あたしが辞めてから一年程経ってから、街で偶然彼女を見かけたことがあった。彼女は相変わらず健康的に太っていて、大きなピアスにロングスカートがとても似合っていた。あたしが声をかけようか迷っている間に、彼女は人混みに紛れて見えなくなってしまった。


彼女を見かけることはそれ以来なかったが、あたしは今でも時々彼女のことを思い出す。今度見かけたら迷わず声をかけよう。
「久しぶりだね。覚えてる?」
そして携帯電話の番号を交換するのだ。忘れられていてもかまわない。
あたしは彼女を覚えている。