『太陽はひとりぼっち』

製作年:1962 製作国:イタリア、フランス 配給:ヘラルド 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ 出演:モニカ・ヴィッティアラン・ドロン



結婚に郷愁は感じないの、と彼女は言った。

死んだ魚の目をしている。広すぎる海を自由に駆ける魚の目は見たことないけれど、あの時も、その時も、ヴィクトリアの目は死んだ魚の目をしていた。そんな目には旗の揚がらない旗竿が良く似合う。カン、カン、カンと乾いた音がする。

とにもかくにも、始まりには終わりが寄り添い、プロローグはエピローグへと続く。急ぐ。


いつまでも完成しないコンクリート(ジャングル)マンション。その眺めにはいつものコーヒーと角砂糖を。


ところで、首を伸ばして結末を知りたがる金持ちと貧乏人には、絶対に溶けないダイヤの飴玉を投げ付けて宣誓。

「明日も明後日もその次の日も。そして今夜もまた会おう!」


ハロゲンライトが高速道路を照らす今夜、ヴィクトリアは海へ帰る。約束は永遠に果たされず、終わりは回避されたのだった。
私たちにはハッピーエンドもアンハッピーエンドもいらない!いらない!いらない!


さあ、約束しよう。明日も明後日もその次の日も、そのまた次の日も。そしてもちろん今夜も!いつものところで8時だよ!

夢 file7-no.12

多分卒業式だ。君は卒業式の中にいる。周りは奇妙に歪んでいて、ぼやぼやしているけれど、これは卒業式。
君は退屈だと感じる。だって、ステージ上の校長先生の話はまるで火星からの通信みたいにブレているし、君は3年B組だかC組だか知らないがとにかくナントカ組の列の最後尾にいる。そして、体育館は人の発する熱と窓から差し込む春の日差しでゆらゆら揺れている。全てが退屈に結びつく。
急に後ろのドアが開き、テレビや映画でよく見かけるアイドルが入ってきたので、君は「なんだ。これは夢か」と納得する。そう、夢だよ。これは夢。ここは夢。
君はそのアイドルのことを特に好きだと思ったことはなかった。だから、夢だと分かってからもちょっと不思議に思う。寝る前に彼のことを考えたりもしなかったのに、どうしてあたしの夢に出てくるんだろう、と不思議に思う。だけどこれは君の夢であって、そうじゃない。夢なんてものはいろんな所に繋がっていて、君が見ているこの夢が、誰かの夢に浸食していたり、逆に君の夢の中に誰かの夢が入り込んだりもするんだ。つまり制御は出来ないんだよ。夢には脚さえあるからね。君はただ夢に乗っているしかないんだ。手綱もあるにはあるけれど、やんちゃな君の夢を支配するにはとても役不足だ。
「さあ」とそのアイドルが言う。君にだよ。もちろん。君の夢では大概君が主役だもの。
「さあ早く」とアイドルは君の手を取る。
「僕と一緒に抜け出すんだ」
君は言われるままに彼と一緒に退屈な体育館を出る。結婚式で、突然入ってきた男に奪われてゆく花嫁のようだ。鐘がなり、体育館の外は桜咲くヴァージンロードみたいだ。彼と君は夢中で走っている。渡り廊下を抜け、校舎の中を通って、正門をくぐり抜ける。正門は紙で作った花で飾られている。『卒業式』と書いた看板がある。日の光が眩しくて、まつ毛がチラチラする。君たちは商店街を走る。コロッケの揚がる匂いがする。お腹が減ったな、と君が思った瞬間、アイドルは立ち止まり、振り返って君を見る。君は汗だくで笑いかける彼を見て、鼻が素敵、と思う。彼の鼻はとても立体的なのだ。
「疲れたね」彼は言い、そこでエンドロール。続きが気になるけれど、急に終わるのが夢なんだ。

ベッドで目を覚ました君は、彼の鼻を思い出してちょっと笑う。走ったから、すこし疲れている。
とにかく、おはよう。今日はいい日になると思うよ。

『椿姫』

製作年:1936年 製作国:アメリカ 配給:MGM 監督:ジョージ・キューカー 出演:グレタ・ガルボロバート・テイラー


ズロースに包まれた女の脚。跳ね上がる重たいドレス。揃った巻き毛。オペラグラスで交わす視線。
愛と、愛と、愛と、愛!
誠実な、虚飾の、翻って利己的な、そして真実の。

気高く、優しく、儚い。美しい娼婦。マルグリット。
純白の椿は四葉のクローバーを見つけ、四葉のクローバーは決して枯れない椿を咲かせるのでした。
ああ永遠に真実である愛の前では、何もかもが霞んでしまうのでした。

ヌードモデル

鏡の中の自分を見て、あなたは溜息を漏らす。なんて醜い形なんだ。と。
堅いものと柔らかいものを薄い皮で包んだ、奇妙な凹凸のある長方形の四隅からは同じように得体の知れないものでできたグロテスクな突起がひょろひょろと伸びて、先割れしている。あなたの身体はところどころ穴が開いていたり、凹んでいたり、目玉がなんの前触れも無く埋め込んであったり、そしていろいろなところに毛が生えているのだ。
なんて恐ろしい形。自分は異形なんだ。と思う。
反射的に右手を突き出し鏡を割ったら、血が出る。あなたの脆い身体は裂け、鋭く光るガラスの破片が突き刺さる。
スマートな鏡。それに対して不安定なあなたの身体。


いいと思うよ。それで。うん。そういうのを求めているんだ。僕はね。


あなたの不気味な身体はヴィーナスになる。「僕」によると、「神だって、異形」らしい。
あなたはなんだかがっかりする。


無様で美しい世界を描きたいんだ。


「僕」はあなたの身体を包帯でぐるぐる巻きにしてしまう。描かれたのはミイラのようなヴィーナス。

三文詩

久しぶりにハイヒールを履くと、足がマメだらけになって、痛くて痛くてとにかく庇いながらの変な歩き方をしていると、足首まで変に凝ってきてあまりに辛いので、靴はもう脱いで、トイレに行った靴でいろんな人が歩いた道を、酔っ払ったおっちゃんがゲロ吐いた道を、転がってたナイフを拾おうとして誤ってグサッと手を切った人の血が染み込んだ道を、裸足で歩いてやろうと思ったけど、そうなるともう全てがどうでもよくなって、着てる物全部びりびり脱いで、持ってる物全部行儀良く並ぶマンションの窓に投げつけて、大声で歌いながら歩いてしまうかもしれない恐怖で涙が出てきたので、「マメが潰れる音を聞こうよハニー」よろしく、静かに静かに歩きました。

そういえば、歴史のことを考えると、地面にはもの凄い量の血が染み込んでいて、汚れていない地面なんてなくて、今住んでいる家の下にも野武士や農民、狩人の血が染み込んでいるのだということを考えてしまい、そうなるとどうしても重力が憎らしくなるのが嫌だなと思って、電柱のてっぺんから飛び立つカラスが羨ましくて仕方なかった時期がありました。

決して同じではない空の下、私に「死ねばいいのに」と思わせた彼は重圧に逆らうファルセットでギターと歌い、彼に「使い捨てだな」と思わせた私は引力に任せて走るペンを追いかけています。

レベッカ

安いワインを車のボンネットに垂らす。
男は水を買いに行った。あたしが買いに行かせた。アルコールでは喉が渇いて仕方ないのだ。
中指のガラス玉がきらきら光って綺麗だ。
朦朧とした頭であたしは何年も前、学校の屋上で見た夕日を思い出していた。あれは一生忘れられない。ドラマチックでロマンチックで、まるで金魚が鉢の中から飛び出して苦しくなる息のなか見る土にまみれた太陽みたいだった。


脳味噌はレベッカの頭蓋骨から抜け出した。レベッカは何も考えない。
レベッカは仮名。知らない女。あたしじゃない、知らない女。


レベッカはワインのつくるゆるい曲線を眺めてケラケラ笑った。
あー、あたしは今最高に最低だ。最低に最高だ。
辺りは夜の輝きに満ちている。それはマガイモノで、純粋。ネオンは人を、ものを、鮮やかに照らし出す。
「とてもファニーな気分だな」


男はもう帰ってこないだろう。この辺では水を売っている店はイコール女を売っている店なのだ。


レベッカはいつも騙されている。表面的にはいつも疑っているので、彼女自身、自分はかなり用心深いと思っているが、深層心理では全てを信じている。裏切られたと分かっても、コアではまだ信じている。だれもあたしを騙したり、ただ利用したりしない。そう信じて疑わない。


そんな信心だけを残して、彼女の他の部分は夜に消えてゆく。腐ったワインが洗い流す。


あたしは彼女を徹底的に傷付けてやりたい。もう誰も信じられなくなるくらいに打ちのめしてやりたい。これは親切心なのだ。
どうか彼女の明日が本物の幸せでありますように。

『あの頃ペニー・レインと』

製作年:2000年 製作国:アメリカ 配給:コロンビア 監督:キャメロン・クロウ 出演:パトリック・フュジットケイト・ハドソン


脳ミソは溶けてビールがラジオから流れ、プールは水浸しなのに目が乾く時代。
女兵士は髪をみどり色に染めて子宮の奥から雌叫びをあげる。


レコードはぐるぐる回り、黒く艶めく未来が見える。
金髪も黒髪もブルネットもぐるぐる回るグルーピーだ。
文字は飛び散り、快楽だけが湖の底に澱のように溜まる。溜まる!
くたばれ歴史!くたばれハリウッド!ニューヨーク!ロンドン!トーキョー!ブエナビスタハロー!ストーンズホリデー!レッドロックンロール!
真実を探す君を容赦なく棄て、ロックは金と薬でロールする!それは経済的ロール!


本当の音楽とは子宮の奥から生まれる生命のリズム?もがく魂を解放し、宇宙的胎内に還す指先?
死ぬまで踊り続ける!それが音楽るペニー・レインだ!



しかしペニー・レインはカリソメの彼女。睡眠薬のそばで聴いた永遠の愛は本物。
夢は飛行機とともに一度死に、彼女は本当の名前を取り戻す。