勢いよく、だよ。

廃墟のようなビルの階段、踊り場にいる。知らない男二人と一緒にいる。
一人はどうやら死にたいらしい。もう一人の男とあたしは必死に彼を説得している。男が手摺りから身を乗り出しているのをあたしは必死で掴んで引き戻そうとしている。
「ね、ほらちょっと見て。こうやればいいんじゃないかな」
もう一人の男がモップを手に持って言う。
「ほら、見てて」
男はモップの先、つまりぞうきんの部分をパッと取って、ポーンと宙に放り上げる。
「え?」
死にたい男は一瞬力を抜き、あたしは男と一緒に階段の内側へ倒れ込んだ。
「ほらほら。ポーンってさ。いいと思うんだよね」
モップ男は次々とぞうきんを放り上げていく。死にたい男は不思議そうな顔をしている。
「ほらほら、お前もやってみろよ」
モップは死にたいにモップを渡す。死にたいはおずおずとぞうきんを取り外し、
「えいっ」
とそれを階段の外へ投げる。
「もっと高く。勢いよく、だよ」
「・・・」
もう一度死にたいが投げる。今度は空に向って投げる。
「えいっ」
「そうそう!そんな風にさ」
ぞうきんはどんどん空に打ち上げられていく。あたしはぞうきんから出る腐った水の臭いが気になっている。


「ほらほらほら!」
だんだんモップ男はエキサイトしていく。ぴょんぴょん跳ね回り、ついには階段を駆け下りていく。あたしたちも彼を追って階段を駆け下りる。
「わはは!ひゃっほー!今度は俺が飛んだらいいんじゃないか!?」
目をギラギラさせて男は叫ぶ。ビルは高台にあった。フェンスの下10メートル先は公園になっている。男はフェンスにぶつかるまで走り、ぶつかってフェンスはガッシャーン!と大きな音をたてる。
「なぁ!?」
と振り返る男はカラカラと笑う。
さっきまで死にたかった男とあたしは顔を見合わせ、「どうしようか」と目で会話をする。

スピード

崖の上を走っている。空は鈍色で、パステルカラーの雲が流れる。
海にはイルカが走っている。こっちに走ってくる。
猛スピードで駆け抜けた先で、イルカとぶつかる。
「来るよ。来るよ」
とイルカが言う。あたしの肩に頭を擦りつけながら、震える声で言う。イルカの頭はツルツル、ひんやりしている。
山は色を変えながら動いている。それはとてもゆっくりなようで、実は空よりも速い。
あたしは立ち止まってしまったので、重力と戦っている。戦いながらイルカを抱きしめている。
「何が?何が来るって?」
「破壊が」
海はもう海じゃない。砂のかたまりだった。
あたしは砂浜でトーキョータワーくらいの高さはある大波を待っている。虹色の砂のかたまりがスローモーションで迫る。
キリンが空を駆け、星がシャワーのように落ちている。
あたしはカメラを構え、走っている。


キーーーーーーーン


飛行機が飛び立つので、耳鳴りがひどい。


いつのまにかつぶっていた目を開けると、あたしは空港の展望デッキにいた。
タカシがイタリアに発つのは今日。何時なのかは知らないのだ。

何でもないんだけど

たまこ「もしもーし」
うめこ「はい、こちら南警察署」
たまこ「・・・うめちゃん、よく分からん」
うめこ「何よ?今忙しいんだけど」
たまこ「何でもないんだけどさ。何してんの?」
うめこ「物色」
たまこ「買い物?何買うの?」
うめこ「特に何も。あ、これかわいい!」
たまこ「なになに?」
うめこ「えーと・・・何これ?」
たまこ「置き物?変な人形とかでしょ?」
うめこ「まぁ、そんな感じかな」
たまこ「ねぇ、輪投げして遊ぼうよ」
うめこ「え〜、輪投げ?」
たまこ「景品付きで。あ、でもやっぱつまらなさそう。いいや」
うめこ「じゃあさ、射的やろうよ。こいつを狙う」
たまこ「射的!水鉄砲で?モデルガンとか持ってないよ?」
うめこ「買って来る」
たまこ「わー楽しそう!じゃあ公園で待ち合わせね!」
うめこ「他にも獲物持ってきてね。あんたのポン太郎とか、いいじゃん」
たまこ「ポン太はだめ!ピー助ならいいよ。ピー助持ってく」
うめこ「同じようなクマじゃん・・・まぁいいや。公園ね。ついたら電話!」
たまこ「うん。じゃあ、のちほど!」
うめこ「のちほど!」

『俺たちに明日はない』

製作年:1967年 製作国:アメリカ 配給:ワーナーブラザーズ 監督:アーサー・ペン 出演:ウォーレン・ビーティ、フェイ・ダナウェイ


コーラを飲む二人はB&C。
「銃、持ってるの?・・・見せてよ」
「・・・」
「・・・どうせ撃てっこないわ」
コーラが口の端からこぼれて、クライドは強盗。


「ボニー&クライドだろ?あいつらにかかっちゃ銀行も犬小屋みたいなもんさ。まったく!やってくれるね!!」
バロウズギャングねぇ!素敵だわ!あたしも一味に入りたいくらいなの!」
「俺んとこの銀行にもやつらやって来たぜ!ほら見てみろよ、この壁の銃痕!クライドが撃ったのさ!」
「しかしあいつらもそう長くはやってられまいて。可哀想になぁ」


鳥が飛び立って、二人は蜂の巣。銃弾の雨より痛いのは、二人がもう二度と見つめ合えないということ。

未来都市ジェニー

また同じ夢を見ていた。そしてまた完結しない。
ベッドから身体を起こし、男は時計を見る。17-1122-3.77だ。
あと0.13タルクしたら部屋を出よう。どうせ時間なんて関係ない仕事なのだ。


男は窓を開け、煙草に火を点ける。窓から見えるジェニーはすでに夜の顔をしている。
俺の街、愛するジェニー。
ジェニーに煙を吐きかけると、男はレミントンを磨き、弾を込め、サイレンサーを取り付ける。そしてそれを自分のこめかみに当て、「バーン」とつぶやく。
これは男の習慣だった。磨く。セットする。バーン。だ。


それから1タルク後、男は魚の群れの中にいた。右も左も上も、魚だらけだ。
「ちょっ」男が舌打ちをする。キラキラ光る小魚がジャマだ。男の狙いは黒光りする深海魚なのだ。
ジェニーの透明なチューブは光に満ちている。
綺麗だった。
男は空を見上げた。正確には上方を。ジェニーに空は無い。空の絵があるだけだ。


おや?
女の子だ。赤いワンピースを着た10歳くらいの女の子が飛んでいる。
なんてこった、俺にもそろそろお迎えが来たか・・・なんて思って、独り苦笑する。
女の子は空に向って手を伸ばし、一心に何かを見つめたまま飛んでいる。俺のことなんか見てないだろうな。そもそも彼女はジェニーすら見ていないみたいだ。
どこかでこんな姿勢で飛ぶ人間を見たな。何だったかな。そいつも赤い服を着ていた気がする。飛ぶ人間は赤い服が好きらしい。
女の子の描いた風がこちらまで降りてくる。それは花の香りがした。それに土の匂い。湿った、土の、匂い。


男は銃を降ろし、それを地面に埋めた。
埋まりきらない銃口から、花が咲くような気がした。


その時、大きな黒い影がチューブ上方を横切った。


ジェニーは今日も拡大を続ける。ジェニーは今日も、健康そのもの。

Run my girl(2)

千果子の家は古い木造家屋で、入り組んだ路地の先にある。私は迷路のようなこの道を初めて車で走った。懐かしく、でも知らない道のようだった。
途中、千果子の父親が別棟の車庫で軽トラックに縄のようなものを積んでいるのを見かけた。彼女の家は兼業農家で、夏のこの時期は忙しい。
母親は離婚してすぐ、以前から付き合いのあった男と再婚したらしいが、父親はもうずっと独り身だった。千果子は父親の方についていた。
「新しい親父なんていらないな。一人でたくさん」
というのが彼女の言い分だった。私は彼女が父親の側につくと聞いてほっとした。それはつまり、彼女が引っ越しをしないということだったからだ。私はまだ彼女のそばにいたかった。


私が千果子と離れて、どれくらいの月日が経ったのだろう。千果子は、大学を卒業してからは実家に戻って地元の不動産会社に勤めていると聞いた。彼女のことを人づてに聞くなんて、何だか変な感じがしたのを覚えている。


千果子が母屋の前で手を振っていた。何か言っているが車の中では全く聞こえない。鉄やガラスは意外と厚い壁になるのだ。私は軽く手を振って、近くの空き地に車を停めた。
「遅ーい!車って遅いね!」
歩いてくる千果子はタンクトップに丈の長いジャージーパンツを穿き、ショートカットの頭に黒のキャップが似合っていた。
ショートカット?私の知っている千果子はずっと髪が長かった。私は彼女の髪で遊ぶのが好きだった。癖のない、しなやかな髪は、何年もの間私の手でおだんごにされたり、三つ編みにされたりしていたのだ。
時間は長い髪を短くする。
「髪、切ったんだね」
思わず口にした。千果子はちょっと驚いたような顔をして、
「そっか、久しぶりなんだね」
と笑った。
「でも似合ってる。遅くなってごめんね」
「嘘。あたしの髪で遊べなくてちょっとがっかりでしょ」
「・・・うん。ちょっとね」
「ははは。やっぱりね」


私たちはまず歩き、慣れたところで走り始めることにした。
「仕事、どう?」
「まあまあ」
「千果子、不動産だよね」
「あ、それ辞めたの。なんか、売ったりとかって合ってなかったみたい。今は老人ホームで働いてる」
「そっか」


そういえば千果子はばあちゃんっ子だった。普段はばあちゃんのことをババアなんて呼んでいたが、ばあちゃんの買い物にはいつも付き合っていたし、何かとばあちゃんの世話を焼いていた。そしてばあちゃんも、千果子の世話を焼きたがった。学校の入学式や卒業式に来るのはいつもばあちゃんだった。
そのばあちゃんが亡くなった時、千果子は走らなかった。彼女が走ろうと言わないので、私も誘おうとはしなかった。ただ葬式の後、彼女の家に行くと千果子の姿は無く、私は何だか不安になって彼女を探した。
彼女を見つけたのはこの海岸だった。千果子はここで、怒ったような顔をしてただ海を見ていた。私は声をかけられず、すぐにそこを離れた。声をかけてはいけない気がした。


「梢子は?書店員って聞いたけど」
「私は楽しいよ。多分。辞めてないし」
「ふーん。多分楽しいってくらいが丁度いいのかもね」
「介護なんてすごいよ。私、絶対無理」
「うん。あたしも最初はおしっことかなんとかの仕事はほんと無理って思ったけど、慣れた。じいちゃんばあちゃん、たまに可愛いし。あ、でもこの前さ、ボケたじいちゃんを介護してたばあちゃんが死んだんだ。じいちゃん夜寝れなくて、すぐばあちゃんのこと呼んでたんだって。で、ばあちゃんも寝れなくて。介護疲れっていうより過労死だったみたい。二人には子どもも兄弟もいなくてさ、本当に二人きりだったの。だからじいちゃんも、後追う感じですぐ死んじゃうんじゃないかなってみんな言ってる。なんか、寂しいよね」
「寂しいね」


私たちの周りの空気は微かな死臭を孕んでいる。それは軽く、そして重い。私たちはしばらく黙って歩いた。晩夏の海風は生ぬるく、私は自分の体が水分を含んで膨張するのを感じた。
「そろそろ走ろっか」
千果子が言い、私たちは軽くストレッチをしてから走り出す。
昔と変わらない景色が流れ出し、私は一瞬、隣でポニーテールの長い髪が揺れるのを感じた。千果子は走る時、いつもポニーテールにしていたのだ。
私はなんだか寂しくなって。スピードを上げて、彼女の先を走った。


すぐに息が切れて苦しくなってきた。昔はこんなにすぐ苦しくならなかったのに。私はいつからちゃんと走っていないのだろう。
ちらっと後ろを見ると、千果子も苦しそうだった。
「ねぇ、あの木のところまでにしない?」
「いいよ」


あそこまでだと思うと自然とスピードが上がった。ラストスパートというのは、意思よりも先に体が求めるものなのかも知れない。
あと少しで目標にした木、というところで千果子は言った。
「結婚するんだ。あたし」


突然のことに私は足を止めてしまった。千果子は私を追い越して先に行ってしまう。彼女の作る風が私の頬を叩く。
千果子は木まで走ってターンし、歩いてこちらに戻ってくる。
「木までって言ったじゃん」


「おめでとう」
「ありがとう」


千果子は笑い、私も笑った。
私はうまく笑えていただろうか。

to be continued...

ハインツ

頭の中に入り込んできた。ハインツ。

その時何をしていたのかというと。
一服して、眠くなって、風呂にも入らなきゃいけないなぁ、明日は何着て行こうかなぁと思いながらベッドに寝転んで、けだるいまどろみの中、
自己憐憫という名の自己嫌悪。それとも自己嫌悪という名の自己憐憫?」と、訳の分からないことを考えていたのだった。
ハインツ。頭の中に入り込んできた。
それはゆらゆらと脳内を巡り、ゆるく支配した。


ハインツ?